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【読書コラム】ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを - 自身の中の不寛容

こんにちは! 今回も読書コラムを書いていきたいと思います。テーマ本は米作家カート・ヴォネガット・ジュニア氏の小説『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(ハヤカワSF文庫)。SF文庫には分類されているもののSF要素は少なく、どちらかと言うと風刺色の強い現代小説です。

この作者の小説はそこそこ読んでいますが、その作品に共通して感じるのは、ニヒリズムとシニシズム、ブラックジョークとその背後にある人間愛です。この本ではそのヴォネガット氏の哲学のうち、人間愛の部分が色濃く出ていたのが印象的で、日常生活で忘れがちなことを気づかせてくれた作品でした。今回は、そのことについてのコラムを書いていきます。

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おことわり

本文に入る前に、何点かおことわりしておきたい点がありますので、ご承知の上お読みいただければと思います。

1. 読書コラムという形式
まずは本記事のスタンスについてです。本記事では、私がテーマ本を読んだことをきっかけに感じたことや考えたことを書いていくものとなっており、その意味で「読書コラム」という名称を使っています。

書評を意図したものではないので、本の中から筆者の主張を汲み取ったり、書かれた時代背景や文学的な考察をもとに読み解こうとするものではないので、そういうものを求めている方には適していないと思います。あくまでも「現在の私が」どう考えたかについての文章です。人によっては拡大解釈しすぎではないかとも思うかも知れませんが、その辺りは意見の違いということでご勘弁いただきたいところです。

2. 記事の焦点
どうしても文章量の都合とわかりやすさの観点から、テーマ本に描かれている色々な要素のうち、かなり絞った内容についての記事となっています。 本当は色々と書きたいのですが、どうしても文章としてのまとまりを考えるとそぎ落とさざるを得ない部分がでてしまうのが実情です。

3. ネタバレ
今回は小説の結末やストーリーに関する重大なネタバレはないので、そこまで気にしなくていいと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、ここから本文に入っていきたいと思います。

総括

今回のコラムでは、僕自身が抱いていた不寛容とそれをキッカケに考えたことについて書いていきたいと思います。僕は常に違いに寛容であることが必要だと主張しているわけですが、この本を読むことで、ある一定の人たちに対してはひどく不寛容である自分に気づかされてしまったのです。

今回の記事での結論としては「努力しない人に対する寛容が必要だ」というものです。 社会的な不寛容が広がる中、特に軽蔑・侮蔑を受けがちな「努力をしない人」に対する我々の感情や、その感情に抗う必要性ついて考えてみたいと思います。

それでは、詳しく見ていきましょう。

「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」

この本で描かれるのは、生まれながらの大富豪エリオット・ローズウォーターを巡る物語であり、ローズウォーター財団の莫大な資産を狙う小悪党とのいざこざです。人間に対する諦めにも似たニヒリズムと、限りない人間愛が同居する、非常にヴォネガットらしい小説だと言えると思います。冒頭に書いた通り、人間に対する深い愛が非常にダイレクトな形で描かれているのが特徴と言えるでしょう。

主人公は、タイトルの「ローズウォーターさん」ことエリオット・ローズウォーター。裏表紙の言葉を借りるなら「億万長者にして浮浪者、財団総裁にしてユートピア夢想家、慈善事業家にしてアル中」。何もしなくても1日に1万ドルの金が入ってくる大富豪でありながら、その全てを投げ捨てた男。

そんな彼がしたことは、ローズウォーター郡という場所で社会から脱落した人々に「愛情とささやかな金を与えた」ことです。この村に住む人々に対する文中の形容は、「うすのろや、変質者や、文なしや、失業者」や「たいていの人間の基準からすると死んだほうがましに思える人たち」、「ほとんどだれの目からも、生きている値打ちのないバカと思われている」など酷いものです。ローズウォーターさんは、莫大な遺産を利用し、自分で生きる力を持たない社会的落伍者たちに施しを与え続けました。

この物語におけるもうひとりのキーパーソンは、ローズウォーターさんの妻であるシルヴィア。シルヴィアは美しく、教養もある女性で、飲んだくれのエリオットにはもったいないとまで言われるほどの人物です。

シルヴィアもまた、夫であるエリオットに感化され、ローズウォーター郡の人々に深い愛を与え続けました。しかし、その愛が故に精神的に疲弊し、最終的にはエリオットの元を去ることになりました。それでも、エリオットへの尊敬の念や、町の人々への思いは変わらず、エリオットを罵倒する人々に囲まれてもなお、最後まで夫を信じ続けます。

そして敵役として出てくるのが、若手弁護士であるノーマン・ムシャリ。このムシャリは小悪党という言葉がふさわしく、自身が遺産相続に関わることで、ローズウォーター家の莫大な資産を掠めとることを狙った人物です。物語の中核は、このムシャリが弄する策略とローズウォーター夫妻の会話、そしてエリオットの父親も含めたドタバダ劇場のような形で展開されます。

最終的にどのような結末になるのかはここでは言及しませんが、ローズウォーターとシルヴィアの深い人間愛に心を打たれた小説でした。単純に「金持ちはズル賢く、真面目な貧乏人が搾取されている」といったレベルの話ではなく、シニカルでニヒリストなヴォネガットの「人間が人間であるというだけの理由で愛する」という人間愛が非常に強く伝わってくるのです。

今回は、そんなこの小説についてのコラムを書いていきます。

自身の中の不寛容

ローズウォーター郡の人々の特徴を一言で言うならば、「役立たず」です。冒頭で多数の形容を引用した通り、様々な理由により働き口が見つからず、生きる力を持たない人たちが住んでいるのがローズウォーター郡です。さらに言えば、単純に働き口が無いだけでなく、その状況を変えようとする心意気すら感じられません。

だからこそ、「たいていの人間の基準からすると死んだほうがましに思える人たち」などという、ひどい言われようをしているわけです。誰かに対して「死んだ方が良い」とまで感じることは流石にあまり多くは無いと思いますが、我々もこのような嘲笑を非難することは出来ません。特に、頑張れば何とかなるにも関わらず、その努力をしない人間に対し、嫌悪を抱くことは、そう珍しいことではありません。

我々にとって身近な例としては、生活保護をもらいながら社会復帰しようとしない人たちが挙げられるでしょう。一口に生活保護と言ってもその実態は様々で、社会的に「生活保護を受けて然るべき」と考えられている人がいる一方、生活保護を貰いながらそのお金でパチンコや競馬に興じる人たちがいることは有名な話です。

このような人たちにどのようなを感情を抱くかは人それぞれですが、税金を収めている立場からすると、生活保護費をギャンブルに費やす人たちを肯定的に捉えるのは難しいと思います。ローズウォーター郡に暮らす人々は、まさにそのような立場の人たちです。

僕は、そんな人間にすら愛を与え続けるローズウォーターとシルヴィアに強く心を動かされました。ありきたりな「頑張っている貧乏人に手を差し伸べる」というレベルの話ではなく、「どうしようもなく怠惰な貧乏人にすら手を差し伸べる」姿を見せつけられ、そこに作者のヴォネガットの深い人間愛を感じてしまいます。

特に序盤に出てくるシルヴィアの言葉には強く心を打たれました。ローズウォーター郡に住むどうしようもない人たちを罵倒するエリオットの父に、「エリオットがめんどうを見てやっているあの連中に、一つでも取り柄があるなら教えてくれんか」と問われた時のシルヴィアのセリフです。

その秘密は、あの人たちが人間だということですわ

ここだけ抜き出してみれば、本当になんてことのないセリフかもしれません。しかし、この文章を読んだ時、自分が「人間を人間だからという理由で尊重する」という当たり前のことすら見失っていたことに気づきました。

他人への寛容や、他者を尊重することの大事さは、僕自身が常々意識しているつもりのことで、このブログでもよくテーマにしています。しかし、自分はそんなことを考え・主張していながら、その寛容・尊重は、対象が「頑張っていること」を前提としていたのです。逆に言えば、「頑張っていない人」「努力をしない人」に対するリスペクトは欠如しており、そう言った人たちに対しては非常に不寛容な立場だったと言っていいでしょう。

その背後にあるのは、自分は努力をしているという意識だったのだと思います。自分が「頑張っている」という意識があるからこそ、「頑張っている人」は尊重されるべきであるし、「頑張っていない」人は尊重しなくてもいいと考えてしまっていたのでしょう。悪い言い方をすれば、「寛容」や「他者への尊重」という言葉を使いながら、結局は努力する自分に酔っていただけだったのだと思います。

このように、「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」という小説は、強く心を動かされると同時に、自分の中の不寛容性をあぶり出し、内省するきっかけになった本だと言えます。だからこそ、僕はこの本がとても好きになったのです。

全員を見捨てない社会の中で

僕自身も抱いていた「頑張っていない人」に対する不寛容は、我々の生きる資本主義社会にとって無視できない問題です。この小説の終盤に、物語に出てくるSF作家のキルゴア・トラウトというキャラクターが非常に興味深いセリフを残しています。

あんたがローズウォーター郡でやったことは、断じて狂気ではない。あれは、おそらく現代の最も重要な社会的実験であったかもしれんのです。なぜかというと規模は小さいものだけれども、それが扱った問題の不気味な恐怖というものは、いまに機械の進歩によって全世界に広がって行くだろうからです。その問題とは、つまりこういうことですよ - いかにして役立たずの人間を愛するか?

いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食糧やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価値を失うときがやってくる。だから - もしわれわれが、人間を人間だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです

昔からアメリカ人は、働こうとしない人間や働きたくても働けない人間を憎むように、また、それと同じ理由で自分自身をも憎むように教育されてきました。その残酷な常識は、いまはなくなったフロンティアのおかげともいえます。しかし、いまはまだそうでなくとも、新しい時が近づきつつあります。それがもはや常識ではなくなるときが。それがたんに残酷であるだけのときが

50年以上前に書かれた本ながら、現在社会を見る上でも非常に示唆に富んだセリフではないでしょうか。トラウトの「SF作家」という設定を考えると、この人物はヴォネガットの分身として配置され、上記のセリフは、この小説を書いた意図のネタばらしなのかも知れません。いずれにせよ、ヴォネガットがこの小説を書いた背景がこの文章に集約されていることはまず間違いないでしょう(余談ですが、トラウトというSF作家は、ヴォネガット氏の他の小説でもたびたび登場するキャラクターだったりします)。

我々はいい生活をするためには努力することが当然であると、努力で未来を切り開くことこそが人間が人間たる所以であると教えられます。だからこそ、努力しない人やひどい生活を改善しようとしない人を軽蔑し、頑張ることができない自分に対して自己嫌悪に陥るのです。生活保護でパチンコに興じる人たちに対する嫌悪は、我々がこの残酷な常識に縛られているからこそのものなのでしょう。

しかし考えてみれば明らかなように、努力しようとしない人たちに対して軽蔑することに意味はありません。たとえ軽蔑したところでその人を変えることはできませんし、何より、たとえ努力しない人であっても、社会から排除することは許されないからです。

トラウトの指摘するように、「働こうとしない人間や働きたくても働けない人間を憎むように」なれば、そういった人たちを「抹殺」することに考えが行きつくのは必然です。そういう視点で考えると、数年前の相模原の障害施設殺傷事件が思い出されます。

この事件自体の背景を完全に把握している訳ではなく、部外者の僕がこの事件に対して安易に評価を下すことは適切ではないので、それをするつもりはありません。しかし、この事件の背後に、この小説でヴォネガットが提起した問題が存在するのはまず間違いないでしょう。

もちろん、どんな事情があるにしても、人を抹殺する行為は許されるものではありません。相模原の件は我々の生活から見れば現実離れしているように感じるかも知れませんが、根底にある思想は我々が生活保護でギャンブルをする人たちに対する感情と地続きのものです。たとえそういう人たちに嫌悪感や軽蔑の念を抱いたとしても、彼らを排除したり、飢え死にさせるようなことは許されないのです。

考えてみれば、自分自身やその家族がそのような立場になる可能性も十分にあるわけです。事故で体のどこかに損傷を負ったり、あまりにも強いストレスにさらされる状況にあってなお、努力を続けられるかどうかは定かではありません。また、そもそも頑張れるかどうかは環境・遺伝的な要因も強いので、「頑張れない人」が頑張れないことはその人自身の責任であるとは一概には言えないはずです。

そう言ったことを考慮すると、やはり我々には「努力しない人に対する寛容が必要だ」と思うのです。もちろん、それは簡単なことではありませんし、無意識のうちに「頑張らない人」に対する不寛容に侵されがちです。僕自身も、社会に文句を言いながら自分は何もしようとしない人たちに対し、イライラすることがあるのは否定できません。

しかし、それをどこかにぶつけたり、軽蔑の感情を露わにしたところで、社会にとっても個人にとっても良いことはありません。大事なことは、彼らを非難したり、嘲笑するのではなく、どのように社会との折り合いをつけていくか?です。それはそれで一つの考え方として尊重し、「頑張れない人」「頑張らない人」を見捨てない社会をどのように作るかが重要です。たとえ努力しない人であっても「人間が人間だから」という理由で、その人を尊重する気持ちは忘れたくないものです。

まとめ

今回は「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」という小説についてのコラムを書いてみました。文中でも書いた通り、読んでいて「人間が人間であるという理由で愛する」という表現にハッとさせられ、自分の考え方を見直すきっかけになった小説です。

今回のコラムで自身の思考の全てを語れたとはとても思いませんが、改めてこの本について考えることで、気づいたことが多かったので、その意味でも今回の記事を書いて良かったと思います。

それでは、また!