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【読書コラム】反省させると犯罪者になります - 「嫉妬してはいけない」という無意味な言葉

こんにちは! 今回も読書コラムを書いていきたいと思います。テーマ本は岡本茂樹さんという方の著書『反省させると犯罪者になります』(新潮新書)。著者は、刑務所で受刑者の方に対して更生支援をなさっている方のようです。そのエキセントリックなタイトルに反し、内容は真面目そのもので、犯罪者更生において必要な視点を解説しています。

この本を読んで、書かれている内容が非常に興味深かったのと同時に、自分の中で引っかかっていたことへの突破口を与えたくれたことが衝撃的でした。もちろん、その答えがダイレクトに記載されていた訳ではないのですが、この本に書かれている考え方が、僕の中の思考を推し進める大きなヒントになったのだと思います。今回は、そのことについてのコラムを書いていきます。

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おことわり

本文に入る前に、何点かおことわりしておきたい点がありますので、ご承知の上お読みいただければと思います。

1. 読書コラムという形式
まずは本記事のスタンスについてです。本記事では、私がテーマ本を読んだことをきっかけに感じたことや考えたことを書いていくものとなっており、その意味で「読書コラム」という名称を使っています。

書評を意図したものではないので、本の中から筆者の主張を汲み取ったり、書かれた時代背景や文学的な考察をもとに読み解こうとするものではないので、そういうものを求めている方には適していないと思います。あくまでも「現在の私が」どう考えたかについての文章です。人によっては拡大解釈しすぎではないかとも思うかも知れませんが、その辺りは意見の違いということでご勘弁いただきたいところです。

2. 記事の焦点
どうしても文章量の都合とわかりやすさの観点から、テーマ本に描かれている色々な要素のうち、かなり絞った内容についての記事となっています。 本当は色々と書きたいのですが、どうしても文章としてのまとまりを考えるとそぎ落とさざるを得ない部分がでてしまうのが実情です。

3. ネタバレ
今回は小説では無いですし、あくまで一般的な論点なのでネタバレは特に気にしたなくていいと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、ここから本文に入っていきたいと思います。

総括

今回のコラムの論点は「ありのままの自分」でいることについてであり、母親性と父親性の超克です。もう少しわかりやすく書くと、「ありのままの貴方でいい」という母親性と「ありのままの貴方ではいけない」という父親性の矛盾を、どのように解消するかについてです。

今回の記事での結論としては「感情と行動を分割することが重要である」ということであり、上記の矛盾の解決策として「ありのままの『感情』を肯定し、ありのままの『行動』を否定する」ということを提示したいと思います。

それでは、詳しく見ていきましょう。

「反省させると犯罪者になります」

この本の趣旨は、無理に反省させても無駄だということです。学校教育や、犯罪者更生の現場では、自分の犯した悪事や罪を償うために、反省文を書かせることが多々あります。筆者はこれに対し、強制的に反省文を書かせても意味はないと主張します。確かに、自分が反省文を書く立場になった状況を考えれば、その場しのぎの綺麗事を書いて終わらせる事は想像に難くないので、 その主張には強く納得できます。

さらに筆者は、反省は意味がないどころか、むしろ更生に対して悪影響があると言っています。「反省は、自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っているのです」という文章からも分かる通り、強制的に反省させるということは、真に反省すること(自分が悪いことをしたという自覚)を阻害するというわけです。これがタイトルの「反省させると犯罪者になります」という言葉の意味です。

そのうえで、大切なのは加害者の感情に目を向けることであるとしています。自らが悪事や犯罪に手を染めるに至ってしまった感情を深掘りし、自分の何が悪事に突き動かしてしまったのかを考えることで、本当の意味での反省ができるというわけです。

筆者のキャリア上、書かれている内容は犯罪加害者に関することが多いですが、子育てやいじめの問題にも言及しており、一般の人にとっても決して無関係なことではないと感じました。自分自身の感情との向き合い方もそうですし、特に教育関係の仕事をしている方や、子どもを育てている方は得られるものが多いはずです。

そんな本書ですが、僕はこの本を読んでいて「加害者の感情に目を向けること」という視点がポイントだと感じました。そして冒頭に書いた通り、この視点こそが、最近自分が悩んでいたことに対するブレークスルーになったのです。そこで今回は、ここ最近僕が考えていたことから、それに対してどのように突破口が得られたかについて書いていきます。

母親性と父親性

僕が最近悩んでいたことを端的に言うと、母親性と父親性の矛盾をどう解決するかについてです。それは僕自身の問題として悩んでいたわけではないですし、自分が子育てをしているわけでもないのですが、「個人と社会の関わりあいがどうあるべきか?」という問いの文脈でこのような疑問が湧いてきました。

本論に入る前に、僕がこの記事で使う「母親性」と「父親性」の意味について明確にしておきます。もちろん、ここに書いたものが絶対的な定義であると言うつもりはないので、あくまでも、この記事における位置付けをはっきりさせておくための説明です。

ここで言う「母親性」とは「ありのままの貴方を受け入れること」を表します。母親の、子供に対する「無条件の愛」と言うとわかりやすいかも知れません。だらしない男性を見て「母性本能」がくすぐられるという話はよく耳にしますが、この言葉からもわかるとおり、悪い部分も含めて受け入れることが「母性」として認識されているのではないかと思います。

なかなか生きづらい現代において、この「母親性」を求める人が後を絶たないのはご承知の通りです。理想通りになれない自分や、何の取り柄もない自分ですらも受け入れてくれる存在は、強い安心感を与えてくれます。ひと昔前の「世界にひとつだけの花」や最近の「Let it go」が流行したのも、その歌詞の中に「ありのまま」の自分を肯定してくれる「母親性」を含んでいるからなのでしょう。

一方、それとは逆に「父親性」とは「ありのままの貴方を拒絶すること」です。もしかしたら「拒絶」という言葉に何となく嫌な感じを抱くかも知れませんが、ここで言いたいのはそこまで仰々しい話ではありません。あくまでも、他者や社会との折り合いの中で、自分の欲望だけに従って行動することはできないという当たり前の話です。

誰かに対し、殺したいほど憎い感情が湧いたからと言って「ありのままに」その人を殺すことは許されないですし、お金を国に払いたくないという理由で「ありのままに」税金を納めないということも許されません。これは非常に極端な例ですが、このことから「ありのままの貴方を拒絶する」ことを表す「父親性」がなくてはならないものであることは明らかでしょう。

これまでの説明からもわかるとおり、「母親性」と「父親性」は、どちらが正しいというものではなく、その両方が必要な存在です。一人一人の「ありのまま」の全てを肯定し、自由勝手に行動し続ければ、世の中は混沌に包まれるでしょう。逆に、個人の「ありのまま」の全てを否定すれば、全体主義的な世の中になり、個人の欲望は置いてけぼりになってしまいます。これはまさに、個と社会の関わりあいの問題だと言えます。

問題は、一見互いに矛盾したこの二つの価値観をどのように捉えるべきかということです。「ありのままを肯定する」ことと、「ありのままを否定する」ことは、本質的に矛盾した概念なので、その両立は不可能のようにみえます。

「バランスを取ればいい」という解決法は、一見するとそれらしいように感じられますが、この考え方は論理的に正しくありません。「父親性」に従って「ありのまま」を許容できない領域が発生した時点で、「ありのまま」を全面的に肯定する「母親性」は破綻します。「母親性」は無条件の肯定を要求するので、本質的に「父親性」とは相容れない存在なのです。

これが僕の中で根を下ろしていた問題の核心です。

人は一人では生きていけないという前提に立つと、上記の推論により、「母親性」の否定は避けられません。一方で、健全な精神を育成するためには安全地帯として全面的な承認(「母親性」)が必要であるとも言われます。そこから導かれる結論は、子どもが小さい時には「母親性」という幻想を見せたのち、大きくなるにつれてその幻想をぶち壊す「父親性」を提示しなければならないということです。

もっと端的にいうと、人は欺瞞なしに健全な関係を育むことが出来ないのだろうか、というのが僕の疑問でした。「無条件の愛を与える」というポーズ(欺瞞)を示したあと、「実は無条件ではなく、その愛は条件付きですよ」という手のひら返しが必然的に求められるのは、何となく誠実性に欠ける。そんなことを考えていたわけです。

自身の『感情』の肯定という突破口

そんな中で読んだのがこの本です。もちろん、この本の中で「母親性」とか「父親性」についての議論があるわけではないのですが、この本に書かれている内容が、上記の矛盾を突破するヒントになりました。

先に述べた通り、この本が主張するのは、真の意味での「反省」のためには、内省が不可欠だということです。そして、反省文を作ることは、内省の機会を阻害するので好ましくないとも述べています。

内省することとは、自分の感情を受け入れることです。「人を殺したいほど憎むことはいけないことである」として感情に蓋をするのではなく、なぜ人を殺してしまったのか、ひたすら自分の感情を深掘りしていくことで、本当の意味での反省が可能になるというのが現実です。

僕がこの視点から得られたインスピレーションは、「ありのままの感情」の肯定の必要性です。ここまで読んだ方はピンときたかも知れませんが、これはまさに「感情」に対する「母親性」の重要性と言い換えてもいいでしょう。反省文が好ましくないのは、この「ありのままの感情」を否定し、強制的に正しい方向に戻そうとする「父親性」です。

しかし、もちろん悪事や犯罪という「行動」自体は許されることではありません。つまり、「行動」のレベルにおいては「父親性」は避けられないのです。これは、誰もが納得できる当たり前のことでしょう。個々人が関係しあい、社会を維持するためには「ありのままの行動」に対する「母親性」は認められません。

このように考えると、自己の感情を内省する事で、自分が悪いことをしたという自覚(本当の意味での反省)を得るというプロセスは、以下のように言い換えることができます。

自分の「ありのままの感情」を受け入れる事で、「ありのままの行動」ではいけないことを知る。

これがまさに、前章で議論した矛盾の突破口です。「感情」のレイヤーでは「母親性」を認めた上で、「行動」のレイヤーでは「父親性」を要求する。要するに、何を考え、何を感じるかは自由だけれど、それに忠実に行動することが認められるとは限らない、ということです。これにより、一見すると両立できない「母親性」と「父親性」を両立させる手段が得られたわけです!

これが、この本を読んだ時に僕が感じたブレークスルーです。ある種の「エウレカ」と言ってもいいでしょう。

もしかしたら、「そんなことは当たり前のことじゃないか?」と思われる方もいるかも知れません。もちろん、そのように感じる方も多いでしょう。ただ、必ずしもそれが広く世の中に理解されているようにはとても思えない、というのが僕の考えです。

そこで、僕が昔から違和感を覚えていた一つの言説を使って、それを議論したいと思います。以前からもやもやしていたものの、上記のインスピレーションを得られたことで、だいぶ上手く言語化できるようになりました。ここでは、それについて書いてみたいと思います。

『嫉妬してはいけない』という無意味な言葉

「人に嫉妬してはいけない」。よく見聞きするこの言葉に対して、あなたはどのように感じるでしょうか?もしかしたら、この言葉に対しても「そんなことは当たり前だ」と感じる方がおられるかも知れません。

正直言って、僕はこの言説は無意味だと思います。今回のテーマ本の内容に照らしていうなら、害悪ですらあるのかも知れません。今にして考えると、このような言葉が蔓延っていることこそが、「感情」の「母親性」が理解されていない根拠と言えるでしょう。

冷静考えてみればわかるとおり、嫉妬は自然に湧いてくる感情でしかありません。僕がこの言説が無意味だと思うのは、「人に嫉妬してはいけない」と言われたところで、「嫉妬」が内から湧いてくる感情である以上、どうすることも出来ないからです。当たり前ですが、誰かに対して「嫉妬しよう!」という意思を持って嫉妬している人などいないのです。

この本の内容に当てはめていうなら、「嫉妬してはいけない」という言説は、反省文を書かせることと同等だと言えるでしょう。「感情」に対する「母親性」を認めず、嫉妬がいけない感情であると決めつけて、本当の感情に蓋をする。この言説が害悪かも知れないと書いた理由は、反省文を書かせることと同じように、「嫉妬してはいけない」という言葉が内省の機会を奪う可能性があるためです。

最近ではかなり広がってきた考え方ですが、大事なことは、自身の「嫉妬」という感情を自分の力に変えることだと思います。そこで必要なことは、自身の感情に対する「母親性」であり、自身の「ありのまま」の感情を受け入れることです。嫉妬は悪い感情だからと言って目を背けるのではなく、嫉妬をしている自分の感情を直視することが大事です。

こうした内省の過程によって、自身にとって適切な「行動」が見えてくるというわけです。これは、まさにこの本に書いてある、犯罪加害者更生のプロセスと全く同じであると言えるでしょう。

そう考えると、この文章の適切な表現は「嫉妬にかられて人に攻撃してはいけない」とか「嫉妬心から人の足を引っ張ってはいけない」というものになるでしょう。「ありのまま」を拒絶すべきは「感情」ではなく「行動」です。上記の表現であれば、意味のあるものになり得ると思います。

「人に嫉妬してはいけない」という言葉が、比較的無抵抗に受け入れられることからわかるとおり、人は無意識のうちに行動と感情を混同してしまうものです。そんな中、この本を読んで思ったことは「感情と行動を分割することが重要である」ということです。そして、その上で「ありのままの『感情』を肯定し、ありのままの『行動』を否定する」ことにより「母親性」と「父親性」の両立が出来る。これが、僕がこの本から得られた学びです。

まとめ

今回は「反省させると犯罪者になります」という本を通して、考えたことを書いてみました。直接的な形ではありませんが、自分の中でぐるぐる停滞していた思考を一つ前進させることができたという意味で、読んだよかったと思った本です。まさに「セレンディピティ」と言って良いでしょう。

こういう事があるので、自分の興味に縛られずに色々な本を読むことが大事ですね!ちなみに、この本は、毎月やっているオンライン読書会でおススメしてただいた本です。こんな経験があるからこそ、読書会は楽しいのかも知れませんね。

それでは、また!