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【読書コラム】宇宙創成 - 「なぜ?」を見つけるための多様性

こんにちは!

今回も読書コラムを書いていきたいと思います。テーマ本はサイモン・シン氏の「宇宙創成」。この筆者は「フェルマーの最終定理」や「暗号解読」などの自然科学の分野のノンフィクションを書いている方で、この三作に共通しているのは、とても複雑で高度な知識を要する自然科学を非常にわかりやすく描いているという点です。 

 

小説ではないのでそこまでネタバレは気にならないとは思いますが、一応本のなかで議論されている内容についての言及も多少はあるので、気になる方はお気をつけください。

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おことわり

本文に入る前に、何点かおことわりしておきたい点がありますので、ご承知の上お読みいただければと思います。

 

1. 読書コラムという形式

まずは本記事のスタンスについてです。本記事では、私がテーマ本を読んだことをきっかけに感じたことや考えたことを書いていくものとなっており、その意味で「読書コラム」という名称を使っています。

 

書評を意図したものではないので、本の中から筆者の主張を汲み取ったり、書かれた時代背景や文学的な考察をもとに読み解こうとするものではないので、そういうものを求めている方には適していないと思います。あくまでも「現在の私が」どう考えたかについての文章です。人によっては拡大解釈しすぎではないかとも思うかも知れませんが、その辺りは意見の違いということでご勘弁いただきたいところです。

 

2. 記事の焦点

どうしても文章量の都合とわかりやすさの観点から、テーマ本に描かれている色々な要素のうち、かなり絞った内容についての記事となっています。

 

本当は色々と書きたいのですが、どうしても文章としてのまとまりを考えるとそぎ落とさざるを得ない部分がでてしまうのが実情です。

 

3. ネタバレ

今回はビジネス書ということもあり、特にネタバレは気にしなくていいかと思います。一応気になる方はお気をつけください。

 

前置きが長くなってしまいましたが、ここから本文に入っていきたいと思います。

 

総括

私がこの本を読んで感じたことは「コンテキスト(文脈)を知ろうとすることが重要である」ということ、そして「コンテキストに目を向けるためには多様な視点が必要である」ということです。やや抽象的で、この本の内容とどのように関係があるのかがわかりにくいと思うので、今回はこの結論に至るまでの道筋を書いていきたいと思います。

それでは、 詳しく見ていきましょう。

 

本の内容

この本で描かれているのは、宇宙の創成を説明する理論である「ビッグバン理論」が世の中に認知されるまでの過程です。僕も全然知らなかったのですが、ビッグバン理論が提唱された当時は、宇宙は永遠にそこにあるものであると考えられており、ある時に宇宙がビッグバンによって始まったという考え方は馬鹿げたものだと捉えられていたようです。

 

そういった世の中からのネガティブな反応にもかかわらず、理論による仮説や観測による検証を繰り返し、さまざまな矛盾を解明し最終的に世の中に認められるようになるまでがドラマチックに語られています。特に、最終章の最後の「パラダイム・シフトが完了したのである」という文には非常に痺れました。

 

どのようにビッグバンが証明されたか

さて、このように宇宙へのロマンあふれる本だったわけですが、これを読んでいる皆さんは「ビッグバン理論」がどのように証明されたかをご存知でしょうか?

 

知識としてのビッグバン理論は皆さんご存知かと思いますが、それがどうやってわかったのかについて考えたことはあるでしょうか?正直にいって、僕はそんなこと考えたことはありませんでした。

 

冷静に考えてみると、ビッグバンが起こったことがなぜわかったか?というのは最もな疑問です。当たり前ですが、ビッグバンを見ていた存在がいたと考えるのは馬鹿げており、それでは宗教と変わりません。もちろん、宗教それ自体を否定するつもりはありませんが、今の時代に宗教的説明だけで人を信じさせることはできないというのは明らかです。

 

そうであれば、なぜ過去のある時点にビッグバンが起こったと言うことができるのかというのは、疑問に思って然るべきことであるように思います。これは宇宙の膨張なんかも同じような話です。実際に宇宙の端までいってその膨張を目で見ることはできないので、そこにはなんらかの工夫があったはずです。

 

実際にビッグバン理論がどうやって証明されたか?という点についてはこの記事においては重要ではないので割愛させていただきます。ぜひこの本を読んでいただければと思いますし、調べてみればネットにもその説明はいくらでもころがっていると思います。重要なのは、そこに自分が全く目を向けていなかった、ということです。

 

結論だけをみる危うさ

これは言わば「宇宙はビッグバンによって創成された」という結論だけしかわかっていない状態です。僕はどのような過程でそれが証明されたのか?や、当時どのような議論がなされたのか?を調べるどころか、疑問にすら思っていなかったというわけです。

 

僕はこれに気づいた時に驚愕を受け、その姿勢は非常に問題だと思いましたし、そこに危機感すら覚えました。知識はあるけど、その繋がり<コンテキスト>に全く目を向けていなかったことに対する危惧と言っていいでしょう。

 

こういうことを言うと、別に結果だけ知っていれば問題ないし、あえてその背景を知る必要はないのではないか?という意見もあるかも知れません。もちろんその意見もある程度は正しいと思います。必ずしも全てのことについて背景を知っていなければいけないとは思いませんし、それをすることは現実的ではありません。例えばこのビッグバンにしても、本で読んだ内容はあくまで概略であり、当時の議論の全てを含んでいるわけではありません。当時の論文の全てを読んで理解することなど、専門家でもない限りは不可能です。

 

それでも僕は可能な限りにおいて結論・知識だけでなく、それらのコンテキスト(文脈)を知ることが重要であると考えています。それは、コンテキストを知ることでその理論や知識の前提としている考え方や仮定、それによる限界、又は知識同士の構造を理解することができるためです。これらを無視した結果、知識の不適切な取扱や、とんでもない誤りを引き起こしてしまったという例は枚挙にいとまがないでしょう。

 

コンテキストの重要性

まずは、知識の前提について考えてみましょう。ある知識を知っていたとして、それの前提になっているものが何か?を知ることは重要です。特定の場面においては正しい結論も、その前提が覆ったり、正しくない場合にはその結論が必ずしも正しいとは限りません。

 

例えば、行動経済学なんかがひとつの例としてあげられます。従来の経済学者は、株や証券の取引において、投資家は合理的な判断のもと投資を行うという前提の上で市場の動きを分析していました。しかし、そのような前提に立った場合、一つの問題に直面します。すなわち、バブルなどの異常な市場の動きを説明することができないというものです。

 

このような異常な相場を説明するために、「人間とは合理的な存在ではなく、不合理な行動をしてしまう存在である」という観点から経済を捉えなおした人がいて、それこそが行動経済学と呼ばれる領域です。このような、前提を覆すような観点を持ち込むことで、経済学は新たな一歩を踏み出すことができました。

 

次に知識の限界についてです。前提ともかぶる部分がありますが、ある知識は特定の範囲内でのみ正しいというケースがあります。そう言ったケースで、その限界を知らず、さも何にでも適用できるかのように乱用した場合には非常に危険なことになります。

 

僕は昨今のAIの議論などはそれに近いものを感じます。AIによって人間の仕事が奪われるという考え方自体は間違っていないですが、「AIには出来ることもあれば出来ないこともある」と言うことは、その仕組みをある程度知っていれば明らかなことです。もちろん、科学技術の発展で、できる範囲が拡張していくのは確かでしょうが、なんでもかんでもAIができると考え、無用な不安を煽ることは適切でないと思えてなりません。

 

最後に構造について考えてみましょう。これは何となく想像がつくかもしれませんが、単発の知識をもっているだけではなく、知識同士の関係や因果関係などを知ることによって新たな発見や、未来を考える上での知恵を得ることができます。自然科学の発展のプロセスなんかはまさにこの積み重ねであり、一つ一つの現象を集めてそこに共通項や因果関係を見出し、法則や定理として体系づけるというのが本質です。

 

これについても、一つ例をあげたいと思います。第二次世界大戦はヒトラー率いるドイツがポーランドに侵攻したことから始まった、ということは多くの人が知っている知識でしょう。ただ、知識としてそれを知っているだけでは十分ではなく、その背景を知ることが大事だと思います。ヒトラーが極悪人であり、ヒトラーこそが諸悪の根源だと言うのは簡単です。しかし、それを言っているだけでは今度ヒトラーのような存在が現れた時に悲劇から世の中を守ることはできまぜん。「なぜヒトラーはポーランドに侵攻しなければならなかったのか?」「そもそも、なぜドイツはヒトラーという存在を受けれいれてしまったのか?」「どうすればヒトラーを止めることができたのか?」などなど、答えのない問いを繰り返し、そこにある利害関係や当時の人たちの感情の動きを理解しようとすることで始めて将来に繋げることができます。

 

このように、単発的な知識や結論のみを見ていると見えないことが、そのコンテキストに着目することで見えるようになってきます。これこそが冒頭に書いたコンテキスト(文脈)を知ろうとすることが重要である」という言葉の意味です。そのコンテキストに着目するうえで必要なのが「なぜ?」という視点だということは、これまでの議論からご理解いただけると思います。

 

この辺りは、以前「銃・病原菌・鉄」の記事で書いた内容と重なる部分がありますが、今回はここからもう一歩思索を進めていきたいと思います。

 

【読書コラム】銃・病原菌・鉄 - 人生という名のぶん投げられたプロジェクト - たった一つの冴えた生き様

 

「なぜ?」の視点を持つために

ここまでコンテキストの重要性について論じてきたわけですが、そこに難しさがあることも紛れも無い事実です。それはこの本を読んで僕が感じたこと、つまり、その人が当たり前として受け入れているものには、そもそも「なぜ?」という疑問が湧いてこないということです。

 

それを打開する要素こそが、最近話題になっている多様性ではないでしょうか?一人では気づくことができない疑問に対して、色々な背景をもつ人が集まることによって新たな問題・課題を発見することができます。これは個人的な例ですが、僕は読書会に参加していると、このことを強く感じます。自分一人では考えもしていなかったような疑問を持たれる方がいて、それをきっかけに考えさせられることも多いです。

 

自分が読み流してしまった部分に対して「なぜ?」という疑問が挙げられたり、自分の当たり前が当たり前でないと気付いたり、本当に学ぶことが多いと感じます。

 

このように、多様な視点から物事を見ることで、新たな疑問に気づくことができ、それがコンテキストを知ろうとするきっかけになるのではないかと思います。もちろん、一人一人が物事の「なぜ?」に目を向けようとする姿勢は大事です。でも、それには限界があるからこそ、多様性というものが必要になるのではないかと思います。これが冒頭に書いたもう一つの結論であるコンテキストに目を向けるためには多様な視点が必要である」という言葉の意味するところです。

 

まとめ

今回はサイモン・シン氏の「宇宙創成」を読んで感じたことを書いてみました。本文にも書きましたが、この本を読んで、その内容以上に、自分がビッグバン理論がどのように証明されたかなんて考えたこともなかったという事実に驚愕しました。今回はそこから派生して、コンテキスト論や多様性について書いてみました。やはりこういうサプライズを与えてくれる本は思考のしがいがあるので、今後も色々な本についてコラムを書いていきたいと思います。

それでは、また!