こんにちは!
今回も読書コラムを書いていきたいと思います。テーマ本は有川浩さんの「植物図鑑」。正直もともとコラムは書くつもりはなかったのですが、ちょっと書くことが思いついたので記事にしようと思います。
タイトルからなんとなくわかるかも知れませんが、今回は悪ふざけの要素が強いです(笑)。あまり深く考えず、なんとなく雰囲気で楽しんでいただければ幸いです。
おことわり
本文に入る前に、何点かおことわりしておきたい点がありますので、ご承知の上お読みいただければと思います。
1. 読書コラムという形式
まずは本記事のスタンスについてです。本記事では、私がテーマ本を読んだことをきっかけに感じたことや考えたことを書いていくものとなっており、その意味で「読書コラム」という名称を使っています。
書評を意図したものではないので、本の中から筆者の主張を汲み取ったり、書かれた時代背景や文学的な考察をもとに読み解こうとするものではないので、そういうものを求めている方には適していないと思います。あくまでも「現在の私が」どう考えたかについての文章です。人によっては拡大解釈しすぎではないかとも思うかも知れませんが、その辺りは意見の違いということでご勘弁いただきたいところです。
2. 記事の焦点
どうしても文章量の都合とわかりやすさの観点から、テーマ本に描かれている色々な要素のうち、かなり絞った内容についての記事となっています。
本当は色々と書きたいのですが、どうしても文章としてのまとまりを考えるとそぎ落とさざるを得ない部分がでてしまうのが実情です。
3. ネタバレ
いつものコラムではネタバレを気にせず書くため、既読の方向けの記事になっております、今回はネタバレは殆どないので、未読の方でも問題なく読めると思います。
前置きが長くなってしまいましたが、ここから本文に入っていきたいと思います。
総括
今回はタイトルは「植物図鑑に学ぶAI時代の生存戦略」です。おそらく、「植物図鑑」という小説と「AI時代の生存戦略」に何の関係が有るのかと不思議に思った方が多いと思います。まずはそこから簡単に説明します。
僕は普段ビジネス書やトレンド系の本などを読んでいて、今の世の中がどうなっているのか?そしてどのような方向に向かっているのか?を常に考えています。ITやAIの発達、GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazonの略称)の台頭など、今までは想像もできなかったものがトレンドとなっており、その中で個人がどのように生き抜くのか?という問いは、現代の人類にとって大きなテーマです。今回「植物図鑑」を取り上げた理由は、この問いを考える上でのヒントが物語の中にあるように思えたからです。
僕がこの本を読んで非常に印象に残った文章は「雑草という名の草はない。」という文です。本の中で何度も繰り返し使われる言葉であるため、印象に残っている人も多いと思います。この本では、雑草という言葉で一括りにしてしまうと見過ごしてしまいがちですが、「ヘクソカヅラ」「フキノトウ」「ユキノシタ」など、それぞれの野草に目を向けることで良さが見えてくるということが描かれています。
この考え方こそが、これからの時代を生き抜く上でのポイントになると考えます。一言で言えば「雑草になるのではなく、ヘクソカヅラのような存在になるべきだ!」ということです。もう少しきちんとした言い方をするならば、一般論しか言わない人になるのではなく、個別的・具体的な存在であるべきだ、という考え方です。
それでは、 詳しく見ていきたいと思います。
グローバル市場のトレンド
先に明言しておきますが、ここでは「海外」の訳語としてのグローバルではなく、ローカルの対義語として「グローバル」という語を使っています。つまり、局所的な市場に対して地球全体としての市場という意味です。まあ、大した問題ではないので「何が違うのか?」と思う方は無視していただいてかまいません(笑)。
GAFAを初めとする、市場を席巻している新興企業のビジネスの特徴を一言で言うと、ITを駆使して需要者と供給者を結びつけるプラットフォームの創造です。日本企業の「メルカリ」なんかがわかりやすいですが、何かを提供できる人とそれを欲しい人が出会う市場(いちば)を作るイメージを持っていただくとわかりやすいでしょうか?IT的なインフラと言ってもいいかもしれません。
その他のわかりやすい例だと、Apple StoreやUber等ですね(Uberは日本では解禁されていませんが)。Apple Storeはアプリ開発者と利用者の間を結びつける市場ですし、Uberは空いている車を持つ運転者と乗りたい人を結びつける市場です。YoutubeやFacebookは発信者と受信者に加えて広告主が入るのでやや複雑になりますが、本質は一緒であり、広告主とそのターゲットとなる顧客を結び付けています。
こういったビジネスモデルの特徴は、原材料が必要な製造業等に比べて限界費用が非常に低いことです。言い換えれば、取り扱う量の増加に伴うコストの増加が極めて小さいと言えます。一般的な製造業やサービス業だと、販売数や取引数が増えるほど原材料費が増えたり、人件費・保管費等が増えたりするため、コストもそれに比例して増加します。しかし、IT系プラットフォームビジネスでは場を提供するのが本質なので、中でどれだけ活発に取引が行われようと、企業側のコストは殆ど増えません。
標準化・一般化
さて、その中で重要な考え方が標準化・一般化です。このような、世界中で使われるような幅広い顧客を相手にするようなビジネスをする以上、各顧客を個別的に対応することが不可能であることは想像に難くないと思います。
Aさん、Bさん、Cさんのそれぞれに対して個別の対応をするのではなく、一般化されたルールを作ってそれに従ってもらう、というイメージです。メルカリを利用するときに、本でも服でも日用品でも同じ規則に則って処理すると考えていただいても良いと思います。「植物図鑑」の例で言うのであれば、「ヘクソカヅラ」「フキノトウ」「ユキノシタ」のそれぞれを個別に扱わずに、「雑草」と一括りにして扱うことに相当します。もっと言うと「植物」という括りの方が良いですし、更に言うなら「有機体」と括れる方が望ましいです。
このようにグローバル市場環境においては極力標準化、一般化を推し進め、個別要素を減らしていくことが鍵になるわけです。そして、もう一つ重要なことは、標準化・一般化された処理というのはAIを初めとするコンピュータが大得意とする分野だということです。これが何を示すかは、皆さんの想像の通りだと思います。
ローカル市場のトレンド
翻ってローカル市場についてです。ここで言うローカルは必ずしも空間的な意味でのローカルを表しておらず、スケールとして「局所的な」という意味で使っています。日本の北海道と東京と沖縄の三拠点にいる少人数の「ローカル」グループという概念もありえるということです。まあ、ここも良くわからなければ無視してください(笑)。
この市場を一言で言うと、「グローバルな市場で作られたプラットフォーム内でのビジネス」です。生産者がAmazonを使って直接購入者に販売したり、アプリ開発者がApple Storeを通してアプリを販売する、といった具合ですね。YoutuberなんかもYoutubeというプラットフォームを利用したビジネスなのでここの領域です(そもそもこのビジネス方式自体がローカルな市場という概念の定義な気がしないでもないです)。
この市場のポイントは取引の価格は必ずしも原価に依存しないということです。Twitterを見ていても原価議論なんかは良く見かけますが、メルカリなんかでも原価に比べてはるかに高い価格の衣類やアクセサリーなんかが取引されていますし、Youtuberの再生回数(広告費)はその動画を作るのに掛かった原価とはリンクしないということは火を見るより明らかでしょう(これは何もIT系プラットフォームに限った話ではなく、個人経営の飲食店や装飾品店、サービス業なんかも同じですね)。
個別化・具体化
グローバル市場で重要になってくるのは標準化・一般化ですが、これはローカル市場でも適用されるのでしょうか?
なんとなく想像はつくかと思いますが、ローカル市場で求められる価値観はグローバル市場と正反対の概念です。すなわち、この市場では個別的・具体的な人・物が求められます。一般論しか言わないインフルエンサーという存在は有り得ないと思いますし、規格化された製品しか販売しない商店の未来は暗いでしょう。
ここでも「植物図鑑」の例を出して説明すると、「雑草」という概念では人を惹きつけることができないということです。「雑草」という概念から一般化とは逆方向にたどって、「ヘクソカヅラ」「フキノトウ」「ユキノシタ」等の個別の概念に降りていくことで、人の興味を惹きつける事ができるわけです。
この物語で言うならば、「その植物は食べられるのか?」「花はどのような形なのか?」「どの季節が旬なのか?」等の疑問がわき、愛着が生じるわけです。もちろん、更に個別化を進め「いつも通る道にあるヘクソカズラ」や「自分の故郷の山に生えているフキノトウ」と限定したほうが、より一層感情を動かすものであることは理解しやすいのではないかと思います。
つまり、標準化・一般化を推し進めることが重要なグローバル市場に対して、ローカル市場では逆に個別化・具体化の方向に舵を切っていくことが重要となります。未来のAIがどこまで発展するのかは誰にもわかりませんが、少なくとも標準的・一般的な処理に比べて個別的な処理はAIの苦手とするところであることは言うまでもありません。
AI時代の生存戦略とは?
長い前置きですが、ようやくここにたどりつきました。ここまでに書いた内容を踏まえ、AI時代の個人の生存戦略は「ローカルな市場で個別的・具体的な存在となる」ことであると私は考えます。
グローバル市場では標準化・一般化が進み、人間からAIへの置き換えが急激に進むと考えられます。もちろん、いますぐに多くの業務がAIに置き換えられるとは思いませんが、近い将来かなりの数の仕事が人間から奪われることが予想されます。そのことからもわかるとおり、グローバルな市場に個人が生き残り続けることは難しいと考えます。
そこで、個人が見出す活路はローカルな市場です。この市場で各々が個性を出しながら何か価値のある物を提供しあう、というのが個人の生存戦略の一つであると考えます。個性とは、好きなものや没頭できるもの、そして価値観や専門知識なんかになるのだと思いますが、そういった個人的な要素を積極的に出していくことで、人から興味を持ってもらえたり、なにか面白い繋がりが生まれるのではないかと思います。
「SNSで自分の意見を発信していくべき」という最近の風潮の根底には、このような議論にあるのだと思います。僕個人としては必ずしもインターネット経由である必要はないと思っていますが、自分の趣味や価値観等を積極的に外に発信することはこれからの時代を生き抜く上で必要になってくると考えています。
最後に、これは個人的な思いですが、自分の意見を発信することがなかなか難しい要因は、市場環境としては個別化が要求されるものの、教育制度としては標準化・一般化をよしとするものとなっているためのような気がします。僕自身も含めて、そういう教育を受けてきた人が自分の意見を言えと言われてもなかなか難しいのが正直なところです。
そんな中ではありますが、Twitterやこのブログ、読書会等での交流の中で少しずつでも自分の好きなものや価値観を出していきたいですね。
まとめ
今回は有川浩さんの「植物図鑑」を読んで感じたことを書いてみました。正直「植物図鑑」に関する話はそこまでしていないので、この本を好きな方にはちょっと申し訳ない気はしています。まあ、たまにはこういうのも良いかなと。
記事のラストにも書きましたが、できるだけ自分の考え方や価値観は積極的に出して行きたいとは思っているので、今後もこんな感じでコラムは続けていきたいですね。
それでは、また!